ダイガクコトハジメ - 東京女学館大学
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学校略歴
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1887(明治20)年、女子教育奨励会設立、創立委員長に内閣総理大臣・伊藤博文、「諸外国の人々と対等に交際できる国際性を備えた、知性豊かな気品ある女性の育成」を目指す、政財官界の有力者が創立委員に
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1888(明治21)年9月11日、東京女学館開校
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1890(明治23)年、宮内省より虎ノ門の旧・工部大学校本館を借り受けて移転、世に「虎ノ門女学校」と呼ばれるように
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1923(大正12)年9月1日、関東大震災被災、校舎を渋谷羽沢に移転
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1954(昭和29)年、専攻科設置
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1956(昭和31)年、東京女学館短期大学設立
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1957(昭和32)年、専攻科廃止
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1978(昭和53)年、東京女学館短期大学、校舎を東京都町田市鶴間に移転
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2000(平成12)年、東京女学館短期大学、学生募集停止
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2002(平成14)年、東京女学館大学設立、国際教養学部のみの4年制女子大学に
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2017(平成29)年11月16日、東京女学館大学、閉校
創立者
学校年表
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1886(明治19)年11月 渋沢栄一(47歳)、帝国大学教授・外山正一の「欧米人に見劣りしないために日本人女性に対する高度な教育が必要」の意見に賛同。内閣総理大臣・伊藤博文の勧説に従い、女子教育奨励会設立に協力。東京女学館の母体に。資金募集など尽力。評議員に。
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1887(明治20)年 伊藤博文(47歳)、創立委員長となり女子中等教育機関・女子教育奨励会(後に東京女学館)設立。「諸外国の人々と対等に交際できる国際性を備えた、知性豊かな気品ある女性の育成」を目指す。創立委員に、渋沢栄一・岩崎弥之助・外山正一ほか、帝国大学英語教授ジェムス・ディクソン、聖公会司教アレキサンダー・ショーなど政財官界の有力者で構成。永田町御用邸(雲州屋敷)を貸与され、校舎に。
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1887(明治20)年、北白川宮能久親王を会長に。
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1888(明治21)年9月11日、女子教育奨励会が計画する東京女学館が認可を受け、開校。
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1888(明治21)年9月11日 渋沢栄一(49歳)、東京女学館開校。会計監督に。
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1890(明治23)年、宮内省より虎ノ門の旧・工部大学校本館を借り受け、移転。世に「虎ノ門女学校」と呼ばれるように。
1899(明治32)年2月7日公布・4月1日施行 高等女学校令
中学校令14条および高等女学校規程に基づく尋常中学校の一種として設置された高等女学校について、女子に必要な中等教育を行うことを目的に、新たに独立した勅令を定める。
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1900(明治33)年、高等女学校令に準拠、普通科5年・高等科2年を設置。
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1918(大正7)年 神田乃武(62歳)、東京女学館第4代館長に。
1923(大正12)年9月1日11時58分32秒 関東大震災
神奈川県および東京府(現・東京都)を中心に、隣接する茨城県・千葉県から静岡県東部までの内陸・沿岸に及ぶ広い範囲に甚大な被害をもたらす。死者・行方不明者は推定10万5,000人。明治以降の日本の地震被害として最大規模の被害に。
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1923(大正12)年9月1日、関東大震災後、校舎を渋谷羽沢に移転。
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1924(大正13)年 渋沢栄一(85歳)、東京女学館第5代館長に。
1946(昭和21)年 - 学制改革
第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づいて日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、東京帝国大学総長・南原繁らにより推進される。
複線型教育から単線型教育「6・3・3・4制」への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを廃止。教育機会の均等が図られる。
戦前の旧制大学・旧制高等学校・師範学校・高等師範学校・大学予科・旧制専門学校が4年制の新制大学として再編される。新制国立大学について、文部省が総合的な実施計画を立案、1949(昭和24)年施行の国立学校設置法に基づき設置。
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1954(昭和29)年、専攻科を設置。
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1956(昭和31)年、東京女学館短期大学設立。
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1957(昭和32)年、専攻科を廃止。
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1978(昭和53)年、東京女学館短期大学、校舎を東京都町田市鶴間に移転。
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2000(平成12)年、東京女学館短期大学、学生募集を停止。
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2002(平成14)年、東京女学館大学設立、国際教養学部のみの4年制女子大学に。
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2013(平成25)年、東京女学館大学、学生募集を停止。
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2017(平成29)年11月16日、東京女学館大学、閉校。
東京女学館大学年表