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ダイガクコトハジメ - 工学院大学

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学校略歴

  • 1887(明治20)年10月31日、帝国大学初代総長・渡辺洪基を中心に、明治政府が掲げる富国強兵・殖産興業政策の近代化の現場を支える職工育成を目的として工手学校創立協議会開催、創立に工部大学校出身者で構成する工部会も関わる

  • 1888(明治21)年2月、工手学校設立認可、土木・機械・電工・造家・造船・採鉱・冶金・製造舎密の8学科設置、授業開始

  • 1888(明治21)年、岩崎弥之助・古川市兵衛・住友吉左衛門・藤田傳三郎・西邑虎四郎・矢島作郎・高島嘉右衛門大倉喜八郎渋沢栄一ほか富豪諸氏が設立基金寄付

  • 1896(明治29)年2月9日、第14回卒業式当夜に校舎全焼、明治天皇より御下賜金を賜わる

  • 1901(明治34)年、古市公威渡辺洪基の後を継いで管理長に、以後30余年にわたり​学院の発展に尽力

  • 1923(大正12)年9月1日、関東大震災により校舎全焼、淀橋町の日本中学校を仮校舎に授業再開

  • 1928(昭和3)年、淀橋町角筈(現新宿敷地)に新校舎完成、工学院に改称

  • 1944(昭和19)年4月 、専門学校令により工学院工業専門学校に改組、中等学校令により昼間授業の工学院工業学校開校

  • 1949(昭和24)年2月、大学昇格、工学院大学設立

創立者

学校年表

  • 1877(明治10)年1月、工学寮廃止。ボアンヴィル設計による、当時世界で最も優れた工業教育施設とされる本館が完成。工学寮工学校は、工部大学校に改称。初代校長に、工作局長・大鳥圭介。イギリスから招聘された技師たちの指導の下、理論研究と実地修練を組み合わせた高度な工学教育を行う。官費生には奉職義務があり、卒業後7年間は官庁で働く取り決めに。

1885(明治18)年12月22日 内閣制度発足

太政官制廃止、内閣総理大臣と各省大臣による内閣制が定められる。初代内閣総理大臣に、伊藤博文が就任(第1次伊藤内閣)。1871(明治4)年より三条実美が務めてきた太政大臣とは異なり、公卿が就任するという慣例も適用されず。どのような身分の出自の者であっても国政の頂点に立つことができるとする。各省大臣の権限を強化、諸省に割拠する専門官僚に対する主導権を確立。文部省に文部大臣が置かれることに。初代文部大臣に、森有礼

  • 1885(明治18)年、太政官制度廃止により内閣制度発足。工部省が廃止され、逓信省と農商務省に分割・統合。工部大学校文部省に移管される。

1886(明治19)年3月2日公布・4月1日施行 帝国大学

高等教育相当の機関を規定。帝国大学について、「帝国大学ハ国家ノ須要ニ応スル学術技芸ヲ教授シ及其蘊奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」とし、国家運営を担う人材育成のための教授研究機関であると規定された。大学院と法科大学・医科大学・工科大学・文科大学・理科大学からなる5つの分科大学から構成。これらをまとめる総長は勅任官とされる。初代総長に渡辺洪基を勅任。

  • 1887(明治20)年10月31日 渡辺洪基(40歳)、明治政府が掲げる富国強兵・殖産興業政策の近代化の現場を支える職工育成を目的に。帝国大学工科大学初代工科大学長・古市公威、教授・辰野金吾片山東熊、藤本寿吉らと共に、築地の地に日本で最古の私立の工業実業学校となる工手学校(現・工学院大学)創立。

  • 1888(明治21)年2月、工手学校設立認可。土木・機械・電工・造家・造船・採鉱・冶金・製造舎密の8学科を設置。授業開始。

  • 1888(明治21)年9月8日 渋沢栄一(49歳)渡辺洪基より工手学校(現・工学院大学)創立の意を聞き、賛同。賛助となり、設立基金を寄付。

  • 1888(明治21)年 大倉喜八郎(52歳)工手学校(現・工学院大学)創立にあたり、設立基金を寄付。

  • 1888(明治21)年 高島嘉右衛門(57歳)工手学校(現・工学院大学)創立にあたり、設立基金を寄付。

  • 1896(明治29)年2月9日、第14回卒業式当夜に校舎全焼。罹災が明治天皇の天聴に達し、御下賜金を賜わる。

  • 1896(明治29)年2月9日 渋沢栄一(57歳)、工手学校(現・工学院大学)校舎消失。校舎再築のため、援助・寄付。また、石川島造船所取締役会長としても寄付。

  • 1901(明治34)年 古市公威(48歳)渡辺洪基の後を継ぎ、工手学校(現・工学院大学)管理長に。以後30余年にわたり​、学院の発展に尽力。

  • 1923(大正12)年9月1日、関東大震災により校舎全焼。11月、淀橋町の日本中学校を仮校舎に、授業再開。

  • 1925(大正14)年 古市公威(72歳)、工手学校復興会設立、会長に。復興資金を募金。

  • 1928(昭和3)年、淀橋町角筈(現新宿敷地)に新校舎完成。工学院に改称。

1943(昭和18)年2月16日 専門学校令改正

実業学校令廃止、専門学校と実業専門学校の区別廃止。翌年、各種専門学校は経済専門学校(旧高等商業学校・旧高商)・工業専門学校(旧高等工業学校・旧高工)・農林専門学校(旧高等農業学校・旧高農)・外事専門学校(旧外国語学校)など改称。

  • 1944(昭和19)年4月 、専門学校令により、工学院工業専門学校に改組。中等学校令により、昼間授業の工学院工業学校開校。

1946(昭和21)年 - 学制改革

第二次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部の占領下、第一次アメリカ教育使節団の調査結果より、アメリカ教育使節団報告書に基づいて日本の教育制度・課程の大規模な改変・改革が行われる。日本側は、東京帝国大学総長・南原繁らにより推進される。

複線型教育から単線型教育「6・3・3・4制」への変更。義務教育の9年間(小学校6年間・中学校3年間)への延長。複線型教育については、封建制の下における社会階層に応じた教育構造であるとされ、これを廃止。教育機会の均等が図られる。

戦前の旧制大学・旧制高等学校・師範学校・高等師範学校・大学予科・旧制専門学校が4年制の新制大学として再編される。新制国立大学について、文部省が総合的な実施計画を立案、1949(昭和24)年施行の国立学校設置法に基づき設置。

  • 1949(昭和24)年2月、大学昇格、工学院大学設立。

  • 1950(昭和25)年3月、工学院工業専門学校廃止。

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