早稲田大学・東京専門学校早稲田大学 | 『学問の独立と東京専門学校の創立』大隈重信 -3この学校が十五年間に勢力を得たことは既に幹事から御話しした通りであるが、この十五年間に学校が如何なる境遇にあったかということは、諸君は随分耳を傾けて聞くだけの価値がある。これは実に非常なる困難であった。それはどうも学校の貧乏のみならず、種々の敵それから種々の誤解、それから今...
早稲田大学・東京専門学校早稲田大学 | 『学問の独立と東京専門学校の創立』大隈重信 -2充分に学者達がそこに力を致したならば、必ず日本の学問はあらゆる教科書を皆日本の文字で、日本語で講義をすることが出来る。それから進んで著述をし、あるいはまた無いというものは翻訳をすれば必ず出来ることと考えたから、即ち私は学問の独立ということを大胆にも唱えたのである。...
早稲田大学・東京専門学校早稲田大学 | 『学問の独立と東京専門学校の創立』大隈重信 -1かの「ペルリ」が来た以来洋学というものが流行《はや》った。流行ったというほどではないが、随分有志家が西洋の事情を知ることについてこれを勉強した。私共もその一人だ。もっとも今から四十年前のこと、その中《うち》に御維新になって種々の学校というものが出来た。出来たが皆おもに西洋の...
早稲田大学・東京専門学校早稲田大学 | 『祝東京専門学校之開校』小野梓 -2余は本校に向て望む、十数年の後《の》ち漸《ようや》くこの専門の学校を改良前進し、邦語を以て我が子弟を教授する大学の位置に進め、我|邦《くに》学問の独立を助くるあらんことを(謹聴々々、大喝采)。顧《かえり》みて看《み》れば、一国の独立は国民の独立に基《もと》いし、国民の独立は...
早稲田大学・東京専門学校早稲田大学 | 『祝東京専門学校之開校』小野梓 -1余は従来一箇の冀望《きぼう》を抱《いだ》けり。その冀望とは他なし、余が生前に在って吾《わ》が微力を尽して成立せし一箇の大学校を建て、これを後世に遺《のこ》し、私《ひそか》に後人を利するあらんと欲する、これなり。この冀望たる、余が年来の志望にして、毎《つね》に用意せし所なりと...