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文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。

慶応義塾 | ​『福翁自伝』福沢諭吉 -25

 ソレから明治十五年に時事新報と云《い》う新聞紙を発起しました。丁度《ちょうど》十四年政府変動の後で、慶応義塾先進の人達が私方に来て頻《しき》りにこの事を勧める。私も亦《また》自分で考えて見るに、世の中の形勢は次第に変化して、政治の事も商売の事も日々夜々運動の最中、相互《あいたがい》に敵味方が出来て議論は次第に喧《かまびす》しくなるに違いない。既《すで》に前年の政変も孰《いづ》れが是か非かソレは差置《さしお》き、双方主義の相違で喧嘩をしたことである。政治上に喧嘩が起れば経済商売上にも同様の事が起らねばならぬ。今後はいよ/\ます/\甚《はなは》だしい事になるであろう。この時に当て必要なるは所謂《いわゆる》不偏不党の説であるが、扨《さて》その不偏不党とは口でこそ言え、口に言いながら心に偏する所があって一身の利害に引かれては迚《とて》も公平の説を立てる事が出来ない。ソコで今全国中に聊《いささ》かながら独立の生計を成《な》して多少の文思《ぶんし》もありながら、その身は政治上にも商売上にも野心なくして恰《あたか》も物外に超然たる者は、※[#「口+烏」、U+55DA、389-1]呼《おこ》がましくも自分の外《ほか》に適当の人物が少なかろうと心の中に自問自答して、遂《つい》に決心して新事業に着手したものが即《すなわ》ち時事新報です。


初出:1898(明治31)年7月1日号 - 1899(明治32)年2月16日号



文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。


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