洋学のもって洋学たるところや、天然に胚胎《はいたい》し、物理を格致《かくち》し、人道を訓誨《くんかい》し、身世《しんせい》を営求《えいきゅう》するの業にして、真実無妄、細大備具せざるは無く、人として学ばざるべからざるの要務なれば、これを天真の学というて可ならんか。吾が党、この学に従事する、ここに年ありといえども、わずかに一斑をうかがうのみにて、百科|浩澣《こうかん》、つねに望洋《ぼうよう》の嘆《たん》を免れず。実に一大事業と称すべし。
然れども難きを見てなさざるは丈夫の志にあらず、益《えき》あるを知りて興《おこ》さざるは報国の義なきに似たり。けだしこの学を世におしひろめんには、学校の規律を彼に取り、生徒を教道するを先務とす。よって吾が党の士、相ともに謀《はか》りて、私にかの共立学校の制にならい、一小区の学舎を設け、これを創立の年号に取りてかりに慶應義塾と名づく。
ことし四月某日、土木、功を竣《おさ》め、新たに舎の規律勧戒を立てり。こいねがわくは吾が党の士、千里|笈《きゅう》を担《にの》うてここに集り、才を育し智を養い、進退必ず礼を守り、交際必ず誼《ぎ》を重じ、もって他日世になす者あらば、また国家のために小補なきにあらず。かつまた、後来《こうらい》この挙に傚《なら》い、ますますその結構を大にし、ますますその会社を盛んにし、もって後来の吾曹《われら》をみること、なお吾曹の先哲を慕うが如きを得ば、あにまた一大快事ならずや。ああ吾が党の士、協同勉励してその功を奏せよ。
引用:『慶応義塾の記』福沢諭吉
初出:1980(昭和55)年12月18日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。