一、入社の式は金三両を払うべし。
一、受教の費《ひ》は毎月金二|分《ぶ》ずつ払うべし。
一、盆と暮と金千|匹《びき》ずつ納むべし。
ただし金を納むるに、水引《みずひき》のしを用ゆべからず。一、このたび出張の講堂は、講書教授の場所のみにて、眠食の部屋なし。遠国より来る人は、近所へ旅宿すべし。ずいぶん手軽に滞留すべき宿もあるべし。
一、社中に入らんとする者は、芝|新銭座《しんせんざ》、慶應義塾へ来り、当番の塾長に謀《はか》るべし。
一、義塾読書の順序は大略左の如し。
社中に入り、先ず西洋のいろはを覚え、理学初歩か、または文法書を読む。この間、三ヶ月を費《ついや》す。
三ヶ月終りて、地理書または窮理《きゅうり》書一冊を読む。この間、六ヶ月を費す。
六ヶ月終りて、歴史一冊を読む。この間、また、六ヶ月を費す。
右いずれも素読《そどく》の教を受く。これにてたいてい洋書を読む味も分り、字引を用い先進の人へ不審を聞けば、めいめい思々《おもいおもい》の書をも試みに読むべく、むつかしき書の講義を聞きても、ずいぶんその意味を解《げ》すべし。まずこれを独学の手始《てはじめ》とす。かつまた会読《かいどく》は入社後三、四ヶ月にて始む。これにて大いに読書の力を増すべし。
右の如く三ヶ月と六ヶ月と、また六ヶ月にて一年三月なり。決してこの間に成学《せいがく》するというにはあらず。もちろん人々《にんにん》の才・不才もあれども、おおよそこれまで中等の人物を経験したるところを記せしものなり。独見《どくけん》もでき、翻訳もでき、教授もでき、次第に学問の上達するにしたがい、次第に学問は六《む》ッかしくなるものにて、真に成学したる者とては、慶應義塾中一人もなし。恐らくば、日本国中にも洋学すでに成れりという人物はあるまじく、ただ深浅の別あるのみ。
一、学費は物価の高下によりて定め難し。されどもまず米の相場を一両に一|斗《と》と見込み、この割合にすれば、たとい塾中におるも外に旅宿するも、一ヶ月金六両にて、月俸、月金、結髪、入湯、筆紙の料、洗濯の賃までも払うて不自由なかるべし。ただし飲酒は一大悪事、士君子たる者の禁ずべきものなれば、その入費を用意せざるはもちろんなれども、魚肉を喰らわざれば、人身滋養の趣旨にもとり、生涯の患《うれい》をのこすことあるゆえ、おりおりは魚類獣肉を用いたきものなり。一ヶ月六両にては、とても肉食の沙汰に及び難し。一年百両ならば十分なるべし。
一、入社の後、学業上達して教授の員に加わるときは、その職分の高下に応じ、塾中の積金をもって多少に衣食の料を給すべし。生徒より受教の費を出さしむるは、これらのためなり。
一、洋書の価は近来まことに下直《げじき》なり。かつ初学には書類の入用も少なく、大略左の如し。
理学初歩 価一分一朱
義塾読本文典 価一分
和英辞書 価三両二歩
地理書 ┌一部に付
窮理書 ┤弐両より
歴史 └四両まで
右にて初学より一年半の間は不自由なし。このほかに価八、九両ばかりの英辞書一部を所持すればもっともよし。
引用:『慶応義塾新議』福沢諭吉
初出:1980(昭和55)年12月18日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。