余は本校に向て望む、十数年の後《の》ち漸《ようや》くこの専門の学校を改良前進し、邦語を以て我が子弟を教授する大学の位置に進め、我|邦《くに》学問の独立を助くるあらんことを(謹聴々々、大喝采)。顧《かえり》みて看《み》れば、一国の独立は国民の独立に基《もと》いし、国民の独立はその精神の独立に根ざす(謹聴々々、拍手)。而して国民精神の独立は、実に学問の独立に由《よ》るものなれば、その国を独立せしめんと欲せば、必《かな》らず先《ま》ずその民を独立せしめざるを得ず(大喝采)、その民を独立せしめんと欲せば、必らず先ずその精神を独立せしめざるを得ず、而してその精神を独立せしめんと欲せば、必らず先ずその学問を独立せしめざるを得ず(大喝采)。
苟《いやし》くも我国民の元気を養い、その独立精神を発達し、これを以てこれが衝《しょう》に当るに非らざれば、帝国の独立、誠に期し難し(謹聴々々)。それ、国民の元気を養い、その精神を独立せしむるの術、頗《すこぶ》る少なからず。然れどもその永遠の基を開き、久耐の礎《いしずえ》を建つるものに至ては、唯《た》だ学問を独立せしむるに在るのみ(大喝采)。我邦《わがくに》学問の独立せざる久し。王仁《わに》儒学を伝えてより以来、今日に至る迄《ま》で凡《およ》そ二千余年の間、未だ曾て所謂《いわゆ》る独立の学問なるものありて我が子弟を教授せしを見ず(謹聴)。或《あるい》は直に漢土の文学を学び、或は直ちに英米の学制に模し、或は直に仏蘭西の学風に似せ、今や又《また》独逸《ドイツ》の学を引てこれを子弟に授けんと欲するの傾きあり(苦笑、拍手、謹聴)。その外国に依頼して而《しか》も変転自から操る所なき、かくの如し。顧《おも》うに、これ学問を独立せしむるの妙術なる乎《か》、全く断じてその然らざるを知るなり(謹聴、喝采)。
初出:1882(明治15)年10月21日
文学作品より当時学校の様子、学生生活の輪郭を読み解く。