ダイガクコトハジメ - 嘉悦孝
出身校
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成立学舎女子部
関連する学校・組織(前史)
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成立学舎女子部
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日本女子教育会
関連する学校・組織(現代)
関連する教育者
参考情報
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参考文献・書籍
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年表 | 動画
嘉悦孝
かえつたか
1867(慶応3)年3月2日(旧暦・1月26日) - 1949(昭和24)年2月5日
成立学舎女子部教師、私立女子商業学校(現・嘉悦大学)創立
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1867(慶応3)年3月2日(旧暦・1月26日) 嘉悦孝(1歳)、熊本県熊本市本山町(現・中央区本山町)に嘉悦氏房の子として生まれる。父・嘉悦氏房は熊本藩の儒学者・横井小楠の高弟となり、教えを受ける。
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嘉悦孝、幼少より父・嘉悦氏房に学問を学び、実学思想を身に付ける。父が経営する緑川製紙場で女工として働き、女子の経済的自立に関して考えるに至る。
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嘉悦孝、成立学舎女子部(後に成立女学校)で学ぶ。卒業後、成立学舎女子部教師に。
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嘉悦孝、日本女子教育会講師に。
1899(明治32)年2月7日公布・4月1日施行 高等女学校令
中学校令14条および高等女学校規程に基づく尋常中学校の一種として設置された高等女学校について、女子に必要な中等教育を行うことを目的に、新たに独立した勅令を定める。
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1903(明治36)年 嘉悦孝(37歳)、日本で初めて女子を対象とした商業学校・私立女子商業学校(現・嘉悦大学)創立。創立にあたり、金銭面の工面に苦労。商業教育の援助を行っていた渋沢栄一を訪れ、新校舎建設に掛かる費用援助を申し入れる。東京商業学校の一部を借り、校長に和田垣謙三を迎える。
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1903(明治36)年 渋沢栄一(64歳)、私立女子商業学校(現・嘉悦大学)創立のため、嘉悦孝より援助を請われる。後援会発起人に。創立資金寄付。
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1903(明治36)年 和田垣謙三(44歳)、私立女子商業学校(現・嘉悦大学)初代校長に。
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1907(明治40)年、私立女子商業学校、麹町区土手三番町に校舎建築、移転。
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1928(昭和3)年 渋沢栄一(89歳)、日本女子高等商業学校建設講演会発起人に。
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1929(昭和4)年、日本女子商業学校、日本女子高等商業学校に改組。
1943(昭和18)年2月16日 専門学校令改正
実業学校令廃止、専門学校と実業専門学校の区別廃止。翌年、各種専門学校は経済専門学校(旧高等商業学校・旧高商)・工業専門学校(旧高等工業学校・旧高工)・農林専門学校(旧高等農業学校・旧高農)・外事専門学校(旧外国語学校)など改称。
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1944(昭和19)年、日本女子高等商業学校、日本女子経済専門学校に改称。
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1949(昭和24)年2月5日 嘉悦孝(83歳)、死去。享年、83歳。
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