『学校の説 一名、慶応義塾学校の説』慶応義塾
初出:1980(昭和55)年12月18日
一、世に為政《いせい》の人物なきにあらず、ただ良政の下に立つべき良民|乏《とぼ》しきのみ。為政の大趣意は、その国の風俗、人民の智愚にしたがい、その時に行わるべき最上の政を最上とするのみ。ゆえにこの国にしてこの政あり、かの国にしてかの政あり。国の貧弱は必ずしも政体のいたすところにあらず。その罪、多くは国民の不徳にあり。
一、政を美にせんとするには、まず人民の風俗を美にせざるべからず。風俗を美にせんとするには、人の智識聞見を博くし、心を脩め身を慎むの義を知らしめざるべからず。けだし我が輩の所見にて、開知・修身の道は、洋学によらざれば、他に求むべき方便を知らず。歴史を読みて、その実証を見るべし。世の士君子、もしこの順席を錯《あやまり》て、他に治国の法を求めなば、時日を経るにしたがい、意外の故障を生じ、不得止《やむをえず》して悪政を施すの場合に迫り、民庶もまた不得止して廉恥を忘るるの風俗に陥り、上下ともに失望して、ついには一国の独立もできざるにいたるべし。古今万国、その例少なからず。ゆえに今、我が邦にて洋学校を開くは、至急のまた急なるものにて、なお衣食の欠くべからざるが如し。公私の財を費《ついや》すも愛《おし》むにいとまあらず。
一、学問は、高上にして風韻あらんより、手近くして博きを貴しとす。かつまた天下の人、ことごとく文才を抱くべきにもあらざれば、辺境の土民、職業忙わしき人、晩学の男女等へ、にわかに横文字を読ませんとするは無理なり。これらへはまず翻訳書を教え、地理・歴史・窮理学・脩心学・経済学・法律学(これらの順序をおい原書を翻訳せざるべからず。我が輩の任なり)等を知らしむべし。
いわゆる洋学校は人を導くべき人才を育する場所なれば、もっぱら洋書を研究し、難字をも読み、難文をも翻訳して、後進の便利を達すべきなり。方今の有様にては、読書家も少なく翻訳書もはなはだ乏しければ、国内一般に風化を及ぼすは、三、五年の事業にあらず、ただ人力をつくして時を待つのみ。
一、学校を設くるに公私両用の別あり。その得失、左の如し。
一、官に学校を立つれば、金穀《きんこく》に差支えなくして、書籍器械の買入はもちろん、教師へも十分に給料をあたうべきがゆえに、教師も安んじて業につき、貧書生も学費を省《はぶ》き、書籍に不自由なし。その得、一なり。
一、官には黜陟《ちゅっちょく》・与奪《よだつ》の権あるゆえ、学校の法を厳にし、賞罰を明らかにすべし。その得、二なり。
一、官の学校は自《おのず》から仕官の途《みち》に近し。ゆえに青雲の志ある者は、ことに勉強することあり。その得、三なり。
一、官の学校には、教師の外《ほか》に俗吏の員、必ず多く、官の財を取扱うこと、あるいは深切ならずして、費冗《ひじょう》はなはだ多し。この金を私学校に用いなば、およそ四倍の実用をなすべし。その失、一なり。
一、官の学校にある者は、親しく政府の挙動を聞見して、みだりにその是非を論ずるの弊あり。はなはだしきは権家に出入して官の事業を探索する等、無用の時を費《ついや》して本業を忘るるにいたる。その失、二なり。
一、官の学校にては、おのずから衣冠の階級あるがゆえに、正《ただ》しく学業の深浅にしたがって生徒席順の甲乙を定め難き場合あり。この弊を除くの一事は、議論上には容易なれども、事実に行われざるものなり。その失、三なり。
一、官の学校にある者は、みずからその学識を測量せずして、にわかに仕官に志すの弊あり。けだしその達路《たつろ》近ければなり。その失、四なり。
一、官の学校は、官とその盛衰をともにして、官に変あれば校にも変を生じ、官、斃《たおる》れば校もまた斃る。はなはだしきは官府|一《いち》吏人《りじん》の進退を見て、学校の栄枯を卜《ぼく》するにいたることあり。近くその一例をあげていわんに、旧幕府のとき開成所を設けたれども、まったく官府の管轄を蒙り、官の私有に異ならざりしがゆえ、いったん幕府の瓦解にいたり捨ててかえりみる者なし。幸にして今日に及びようやく旧に復するの模様あれども、空しく二年の時日を失い、生徒分散、家屋荒廃、書籍を失い器械を毀《こぼ》ち、その零落、名状するに堪えず。あたかも文学の気は二年の間|窒塞《ちっそく》せしが如し。天下一般の大損亡というべし。先にこの開成所をして平人《へいじん》私有の学校ならしめなば、必ずかかる災害はなかるべきはずなり。官学校の失、五なり。(諸藩士執行中、藩用にて急に帰国を命ぜられ、国に帰りて見れば、さしたる用も無くして、また再遊、したがって再遊、したがって帰国、金ばかり費やしてついに学問のできざる者多し。退きてその本を尋ぬれば、その金も日本の金なり。その人も日本の人なり。日本の人にして日本の金を費し、かえって日本のために益をなさざるは何ぞや。その失策の源、他にあらず、ただ官途の範囲に文学を籠絡せんとするの弊なり。)
一、私立の塾には元金《もときん》少なくして、書籍器械を買い塾舎を建つる方便なし。その失、一なり。
一、古来、日本にて学者士君子、銭《ぜに》を取りて人に教うるを恥とし、その風をなせるがゆえに、私塾にて些少《さしょう》の受教料を取るも大いに人の耳目を驚かす。かつ大志を抱くものは往々貧家の子に多きものなれども、衣食にも差支うるほどにて、とても受教の金を払うべき方便なく、ついに空く志を挫《くじ》く者多し。その失、二なり。
一、私塾の教師は、教授をもって金を得ざれば、別に生計の道を求めざるをえず。生計に時を費《ついや》せばおのずから塾生の教導を後にせざるをえず。その失、三なり。
一、私塾には黜陟・与奪の公権なきがゆえに、人生|天稟《てんぴん》の礼譲に依頼して塾法を設け、生徒を導くの外、他に方便なし。人の義気・礼譲を鼓舞せんとするには、己《おの》れ自からこれに先だたざるべからず。ゆえに私塾の教師は必ず行状よきものなり。もし然らずして教師みずから放蕩無頼を事とすることあらば、塾風たちまち破壊し、世間の軽侮をとること必《ひっ》せり。その責《せめ》大にして、その罰重しというべし。私塾の得、一なり。
一、私塾にて俗吏を用いず。金穀の会計より掃除・取次にいたるまで、生徒、読書のかたわらにこれを勤め、教授の権も出納の権も、読書社中の一手にこれをとるがゆえに、社中おのおの自家の思をなし、おのおの自からその裨益を謀《はかり》て、会計に心を用うること深切なり。その得、二なり。
一、私塾中は起居自由にして一物の身を束縛するなく、官途の心雲を脱却して随意に書を読み、一刻も読書に費さざるの時なく、一語も文学にわたらざるの談なし。身心|流暢《りゅうちょう》して苦学もまた楽しく、したがって教えしたがって学び、学業の上達すること、世人の望外《ぼうがい》に出ず。その得、三なり。
一、古来、封建|世禄《せいろく》の風、我が邦に行われ、上下の情、相通ぜざること久し。ひとり私塾においては、遠近の人|相《あい》集《あつま》り、その交際ただ読書の一事のみにて他に関係なければ、たがいにその貴賤貧富を論ずるにいとまあらず。ゆえに富貴は貧賤の情実を知り、貧賤は富貴の挙動を目撃し、上下混同、情意相通じ、文化を下流の人に及ぼすべし。その得、四なり。
一、文学はその興廃を国政とともにすべきものにあらず。百年以来、仏蘭西にて騒乱しきりに起り、政治しばしば革《あらたま》るといえども、その文運はいぜんたるのみならず、騒乱の際にも、日に増し月に進み、文明を世界に耀《かがや》かしたるは、ひっきょう、その文学の独立せるがゆえならん。かつまた、文脩まれば武備もしたがって起り、仏人、牆《かき》に鬩《せめ》げども外その侮《あなどり》を禦《ふせ》ぎ、一夫も報国の大義を誤るなきは、けだしその大本《たいほん》、脩徳開知独立の文教にあり。今我邦に私塾を立つるも、この趣意を達せんとするなり。その得、五なり。
右所論の得失を概していえば、官学校は教育入用の財あれども、この財を用いて人を教うるの術に乏し。私学校は人を教えて世の裨益《ひえき》をなすべき術に富めるといえども、この術を実地に施すべき財に貧なり。ゆえに、学校を建つるの要訣《ようけつ》は、この得失を折衷《せっちゅう》して、財を有するものは財を費《ついや》し、学識を有するものは才力を尽し、もって世の便利を達するにあり。
そもそも文学と政治と、その世に功徳《くどく》をなすの大小いかんを論ずるときは、此彼《しひ》、毫《ごう》も軽重の別なし。天下一日も政治なかるべからず、人間一日も文学なかるべからず、これは彼を助け、彼はこれを助け、両様並び行われて相《あい》戻《もと》らず、たがいに依頼して事をなすといえども、その地位はおのずから両立の勢《いきおい》をなせるものなれば、政治の囲範《いはん》に文学を繋《つな》ぐべからず。これすなわち学者をして随意に書を読ましめ、国典を犯すに非ざれば咎《とが》めざるゆえんなり。また、文学をもって政治を籠絡《ろうらく》すべからず。これすなわち学者に兵馬の権を仮《か》さずして、みだりに国政を是非せしめず、罪を犯すものは国律をもってこれを罰するゆえんなり。
ゆえに世の富豪・貴族、もしくは政をとるの人、天理人道の責を重んじ、心を虚にして気を平にし、内に自からかえりみて、はたして心に得るものあらば、読書の士君子を助けてその術を施さしめ、読書家もまた己れを忘れて力をつくし、ともに天下の裨益を謀り、一国独立の大義を奉ずる事あらば、また善からずや。
洋学の順序
第一、かの国のエビシ二十六字
我が邦のいろはの如し。
第二、読本
もっとも易《やす》き文章にて諸学の手引、初歩ともなるべき事を説き、あるいは『モラルカラッスブック』などとて、脩心学の入門を記したる小冊子も、読本の内にあり。たいてい絵入りなり。この時また文法書を学ぶ。文法を知らざれば、書を読みて、その義理を解する事、能わず。我が言葉をもって我が意を達するに足らず。言葉、意を達するに足らざるものは、唖子《あし》に異ならず。
第三、地理書
地球の運転、山野河海の区別、世界万国の地名、風俗・人情の異同を知る学問なり。いながら知るべき名所を問わず、己《おの》が生れしその国を天地世界と心得るは、足を備えて歩行せざるが如し。ゆえに地理書を学ばざる者は、跛者《はしゃ》に異ならず。
第四、数学
指を屈して物の数を計《かぞう》るをはじめとし、天文・測量・地理・航海・器械製造・商売・会計、ことごとく皆、数学のかかわらざるものなし。かつ数学を知らざる者は、その学識を実用に施すときにあたりて、議論つねに迂闊《うかつ》なり。
第五、窮理学
窮理学とて、理窟ばかり論じ、押えどころなき学問にはあらず。物の性と物の働を知るの趣意なり。日月星辰の運転、風雨雪霜の変化、火の熱きゆえん、氷の冷《つめた》きゆえん、井を掘りて水の出ずるゆえん、火を焚きて飯の出来るゆえん、一々その働きを見てその源因を究むるの学にて、工夫発明、器械の用法等、皆これに基かざるものなし。元来、物を見てその理を知らざるは、目を備えて見ざるが如し。ゆえに窮理書を読まざる者は、瞽者《こしゃ》に異ならず。
第六、歴史
歴史は、和漢に限らず、世界中いずれの国にても歴代あらざるはなし。歴代あれば歴史もあるはずなり。ひろく万国の歴史を読み、治乱興廃の事跡を明らかにし、此彼《しひ》相比較せざれば、一方に偏するの弊を生じ、事にあたりて所置を錯《あやま》ること多し。他人の常言も我耳に新しく、恐るべきを恐れず、悦《よろこ》ぶべきを悦ばず、風声|鶴唳《かくれい》を聞きて走るの笑をとることあり。かくの如きはすなわち耳なきに若《し》かず。ゆえに万国の歴史を読まざるものは、聾者《ろうしゃ》に劣る。
第七、脩心学
人は万物の霊なり。性の善なる、もとより論をまたず。脩心学とはこの理に基き、是非曲直を分ち、礼義廉節を重んじ、これを外にすれば政府と人民との関係、これを内にすれば親子夫婦の道、一々その分限を定め、その職分を立て、天理にしたがいて人間に交わるの道を明らかにする学問にて、ひっきょう霊心の議論なり。霊心の位するところは人体の頭脳にあり。然らばすなわち人として脩心の学を勤めざる者は、なお首なき人の如し。
第八、経済学
人間衣食住の需用を論じこれを製しこれを易《か》え、これを集め、これを散じ、人の知識礼義を進めて需用の物を饒《ゆたか》にする所以《ゆえん》を説き、これを大にすれば一国政府の出納、これを小にすれば一家日常の生計、自然の定則にしたがう者は富をいたし、これに背く者は貧をいたすの理を明らかにするの学問なり。この学問に暗き者は、自から富むも、その富のよって来たるところを知らず、自から貧なるも、その貧をいたせし源由を知らざれば、富者は貧をいたしやすく、貧者は富を得がたし。ゆえに経済書を学ばざるものは、巨万の富豪も無産の貧漢に異ならず。
第九、法律書
人の生命・家産を重んじ、正をすすめ邪をとどむるの法を論じたるものなり。法律に暗き人は、知らずして罪を犯し、知らずして法にしたがうことあり。あたかもその生命・家産を偶然に保つ者というべし。
一、右の条々は、人生欠くべからざる学問なり。あるいは、学問というほどのこともあるまじ、人たる者の心得といいて可ならんか。この心得ありて後に、士農工商、おのおのその志すところの学を勤むべし。
一、前条の外に、化学、天文学等、種々の科目あれども、窮理学の中に属するものなれば別に掲げず。
一、学問の順序は、必ずしもこの一科を終りて次に移るにあらず、二科も三科も同時に学ぶべし。
一、漢字を知らざれば、原書を訳するにも訳書をよむにも、差支《さしつかえ》多し。ゆえに、最初エビシを学ぶときより、我が、いろはを習い、次第に仮名本《かなぼん》を読み、ようやく漢文の書にも慣れ、字の数を多く知ること肝要なり。
一、幼年の者へは漢学を先にして、後に洋学に入らしむるの説もあれども、漢字を知るはさまで難事にあらず、よく順序を定めて、四書五経などむつかしき書は、字を知りて後に学ぶべきなり。少年のとき四書五経の素読《そどく》に費《ついや》す年月はおびただしきものなり。字を知りし上にてこれを読めば、独見《どくけん》にて一月の間に読み終るべし。とかく読書の要は、易きを先にし難きを後にするにあり。
一、漢洋兼学は難《かた》きことなれば一方にしたがうべきなど、弱き説を唱うるものなきにあらず。されども人の知識は勉むるにしたがい際限なきものなれば、わずかに二、三ヶ国の語を学ぶとて何ぞこれを恐るるに足らん。洋学も勉強すべし、漢学も勉強すべし、同時に学んでともに上達すべし。西洋の学者は、必ずラテン、ギリーキの古語を学び、そのほか五、六ヶ国の語に通ずる者少なからず。東洋諸国に来たる欧羅巴人は、支那・日本の語にも通じて、著述などするものあり。西洋人に限り天稟《てんぴん》文才を備うるとの理もあるまじ。ただ学問の狭博はその人の勉・不勉にあるのみ。
一、翻訳書を読むものは、まず仮名附の訳書を先にし、追々漢文の訳本を読むべし。字を知るのみならず、事柄もわかり、原書を読むの助けとなりて、大いに便利なり。国内一般に文化を及ぼすは、訳書にあらざればかなわぬことなり。原書のみにて人を導かんとするも、少年の者は格別なれども、晩学生には不都合なり。
二十四、五歳以上にて漢書をよく読むという人、洋学に入る者あれども、智恵ばかり先ばしりて、乙に私の議論を貯えて心事多きゆえ、横文字の苦学に堪えず、一年を経ずして、ついに自から廃し、またもとの漢学に帰る者ままこれあり。この輩はもと文才ある人なれば、翻訳書を読み、ほぼ洋学の味を知りて後に原書を学ぶようにせば、苦学をも忍びて速やかに上達するはずなれども、ひっきょう読むべき翻訳書乏しきゆえにこの弊を生ずるなり。漢学生の罪にあらず。ゆえに方今、我が邦にて人民教育の手引たる原書を翻訳するは洋学家の任なり。
右は我が邦今日の有様にて洋学を開く次第を述べたるのみ。年月を経るにしたがい学風の進歩することあらば、その体裁《ていさい》もまた改まるべし。
明治三年|庚午《かのえうま》三月
慶応義塾同社 誌《しるす》
底本:「福沢諭吉教育論集」岩波文庫、岩波書店
1991(平成3)年3月18日第1刷発行
底本の親本:「福沢諭吉選集 第3巻」岩波書店
1980(昭和55)年12月18日第1刷発行
入力:田中哲郎
校正:noriko saito
2007年8月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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