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林鳳岡

はやしほうこう

1645(正保2)年1月11日(旧暦・12月14日) - 1732(享保17)年7月22日(旧暦・6月1日)

聖堂学問所(​後に昌平坂学問所東京大学の源流)大学頭、儒学者

林鳳岡」に関する書籍 [外部]

1630(寛永7)年 - 1632(寛永9)年 上野忍岡に林家の書院・学寮設立・聖廟(先聖殿)建立

1630(寛永7)年、3代将軍・徳川家光が林家に上野忍岡の五千余坪の土地と二百両を与え、書院と学寮を設立。昌平坂学問所の起源に。1632(寛永9)年、徳川義直が同地内に聖廟(先聖殿、後に忍岡聖堂)建立。

  • 1632(寛永9)年 林羅山(50歳)、将軍・徳川家光より江戸上野忍岡に土地を与えられ、私塾弘文館(学問所)・文庫を設立。私塾より多くの門人を輩出、後の昌平坂学問所東京大学の源流)の起源となる。尾張藩初代藩主・徳川義直がこれを助け、孔子の聖像、顔子・曾子・子思・孟子の四賢像、祭器を寄付。先聖堂の扁額を書いて与える。祭祀の維持運営が代々の林家当主に継承される。

  • 1645(正保2)年 林鳳岡(1歳)、江戸に幕府儒官林家・林鵞峰の次男として生まれる。兄・林春信(梅洞)が早世、林家を継ぐ。

  • 1680(延宝8)年 林鳳岡(36歳)、父・林鵞峰が死去。職禄を継ぎ、大蔵卿法印・弘文院学士に。

  • 林鳳岡、江戸幕府4代将軍・徳川家綱以後、8代将軍・徳川吉宗まで5代にわたって仕える。講学だけではなく、官爵・系譜・祭典など、幕府の文書行政に参与。また、朝鮮通信使の応接にも関わる。

  • 1690(元禄3)年 林鳳岡(46歳)、信任厚い5代将軍・徳川綱吉の命により、書を殿中の諸士に講じる。

1690(元禄3)年 神田湯島に聖廟(大成殿)建立・林家塾を移す

5代将軍・徳川綱吉が神田湯島に六千坪の土地を与えて聖廟(大成殿)建立。林家塾(後に昌平坂学問所)を移す。孔子の生地である「昌平郷」に因み、「昌平坂」と命名。

  • 1691(元禄4)年 林鳳岡(47歳)、5代将軍・徳川綱吉の命にて、上野忍岡邸内の聖堂(孔子廟)を神田台(現・湯島)に移す。先聖殿を大成殿と改称。あわせて、講堂・学寮が整備される。この土地を孔子の生地である昌平郷にちなみ、昌平坂と命名。聖堂学問所東京大学の源流)を管掌、大学頭に任じられる。以降、大学頭の官職は林家の世襲となる。この時まで、儒者は仏僧の風に従い、士籍に入ることはできなかったが、これに強く反対。士籍に入ることが認められ、束髪改服。従五位下に叙せられる。

  • 1698(元禄11)年 林鳳岡(54歳)、木下順庵らと共に、松平家の発生から徳川家康の一生を事跡、武功を記した『武徳大成記』編纂。林家の官学的傾向を強める。

  • 1723(享保8)年 林鳳岡(79歳)、家督を子の林信充(林榴岡)に譲る。

  • 1732(享保17)年7月22日(旧暦・6月1日) 林鳳岡(88歳)、死去。享年88歳。

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