ダイガクコトハジメ - 藤尾録郎
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藤尾録郎
ふじおろくろう
1855(安政2)年10月 - 1910(明治43)年8月24日
大蔵省、小石川簡相義塾教師、大蔵省銀行学伝習所教師、大蔵省簿記学伝習所教師、大蔵省銀行事務講習所所長心得、東京商業学校附属銀行専修科教師、日本銀行入行、調査局副支配人・計算課長・局長心得・理事など歴任、住友財閥本店重役
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1855(安政2)年10月 藤尾録郎(1歳)、津藩の支藩・伊勢国久居藩に生まれる。
1867(慶応3)年11月9日(旧暦・10月14日) 大政奉還
江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上、明治天皇へ奏上。翌日、天皇が奏上を勅許。
1868(慶応4)年1月3日(旧暦・12月9日) 明治新政府樹立
王政復古の大号令、江戸幕府の廃絶、同時に摂政・関白等の廃止、三職設置による新政府の樹立を宣言。
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1868(慶応4/明治元)年4月 福澤諭吉(34歳)、塾を慶應義塾と名付ける。教育活動に専念。三田藩・仙台藩・紀州藩・中津藩・越後長岡藩と懇意に、藩士を大量に受け入れる。特に紀州藩は慶應義塾内に紀州塾という藩士専用の部屋まで造られる。長岡藩は大参事・三島億二郎が共鳴、藩士を多数送り込み、笠原文平らが運営資金を支える。
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1870(明治3)年10月 藤尾録郎(16歳)、慶應義塾入塾。会計学を学ぶ。
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1872(明治5)年6月、大蔵大輔・井上馨と渋沢栄一が人材育成機関として構想した、大蔵省翻訳局設立。外国書翻訳や銀行要員養成のため、有給生徒を募集。小池清一(後に貴族院議員)・島田三郎・田口卯吉・高梨哲四郎(後に衆議院議員)・三輪信次郎(後に銀行学局教官)など錚々たる人財が入局。
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1872(明治5)年7月 宇佐川秀次郎(24歳)、慶應義塾入塾。
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1872(明治5)年 藤尾録郎(18歳)、小石川簡相義塾教師に。
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1874(明治7)年4月、大蔵省、お雇い外国人・A.A.シャンドの薦めにより紙幣寮銀行課の一部局として、大蔵省銀行学局設立。実質的に翻訳局を引き継ぐものに。日本で最初の商業教育機関と呼べる。銀行学局長に、日下義雄。副長に、宇佐川秀次郎。
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1874(明治7)年4月 宇佐川秀次郎(26歳)、大蔵省銀行学局副長に。簿記担当。
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1874(明治7)年5月 藤尾録郎(20歳)、大蔵省銀行学局に入局。紙幣寮御用掛。
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1874(明治7)年6月10日 宇佐川秀次郎(26歳)、大蔵省紙幣寮入省。八等出仕。丹吉人・小林雄七郎・遠藤敬止ら慶應義塾の同窓と共に、初期の大蔵省を牽引。
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1875(明治8)年 - 1876(明治9)年、大蔵省、国立銀行などから自費通学生を募集。銀行学局生徒の多くが紙幣寮に採用された為、銀行学局閉鎖。銀行課内に翻訳掛を新設、生徒の教育と翻訳が委嘱される。
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1876(明治9)年7月 藤尾録郎(22歳)、大蔵省銀行学局卒業。紙幣寮銀行課翻訳掛助手。
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1877(明治10)年 宇佐川秀次郎(29歳)、大蔵省銀行学伝習所学頭に。
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1877(明治10)年 藤尾録郎(23歳)、大蔵省銀行学伝習所教師に。
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1879(明治12)年6月30日、銀行学伝習所閉鎖。
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1879(明治12)年7月 藤尾録郎(25歳)、大蔵省簿記学伝習所教師に。
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1882(明治15)年4月、大蔵省銀行局直属の大蔵省銀行事務講習所開設。所長心得に、藤尾録郎。
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1882(明治15)年 藤尾録郎(28歳)、大蔵省銀行事務講習所所長心得に。
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1885(明治18)年5月14日、東京商業学校(現・一橋大学)、管轄が農商務省より文部省に移管。
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1886(明治19)年3月31日、政府直轄学校がすべて文部省所管に。大蔵省銀行事務講習所閉鎖。
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1886(明治19)年5月、大蔵省銀行事務講習所、東京商業学校に付属。銀行専修科に。
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1886(明治19)年5月 藤尾録郎(32歳)、大蔵省銀行事務講習所の閉鎖、東京商業学校附設に伴い、銀行局調査課長兼、東京商業学校附属銀行専修科教師に。
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1889(明治22)年3月、高等商業学校附属主計専修科、高等商業学校付属主計学校に。
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1891(明治26)年9月、高等商業学校付属主計学校を廃止。
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1891(明治24)年 藤尾録郎(37歳)、高等商業学校付属主計学校廃止に伴い、高等商業学校辞職。日本銀行に入行。調査局副支配人・計算課長・局長心得・理事など歴任。
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1899(明治32)年3月 藤尾録郎(45歳)、日本銀行内部の対立から、河上謹一・志立鉄次郎・植村俊平らと共に辞職。
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1899(明治32)年7月 藤尾録郎(45歳)、住友財閥に入る。住友本店監査課主任に。後に監査・会計・地所・文書・土木の五課から成る住友本店重役に就任。三菱財閥に先駆けて、住友財閥の会計制度を改革。複式簿記を導入。
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1910(明治43)年8月24日 藤尾録郎(56歳)、死去。享年56歳。
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