ダイガクコトハジメ - 西村天囚
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重野安繹
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島田篁村
参考情報
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参考文献・書籍
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年表 | 動画
西村天囚
にしむらてんしゅう
1865(元治2/慶応元)年9月12日(旧暦7月23日) - 1924(大正13)年7月29日
重建懐徳堂(大阪大学文系学部の源流)再建、大阪朝日新聞(朝日新聞大阪支社の前身)主筆
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1865(元治2/慶応元)年9月12日(旧暦7月23日) 西村天囚(1歳)、隅国種子島西之表に生まれる。
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1880(明治13)年 西村天囚(16歳)、東京帝国大学古典講習科入学。重野安繹・島田篁村に学ぶ。
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1889(明治22)年 西村天囚(25歳)、大阪朝日新聞入社。
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1893(明治26)年 西村天囚(29歳)、福島安正のシベリア単騎横断をウラジオストクで出迎え、取材。
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1894(明治27)年 西村天囚(30歳)、日清戦争、従軍記者として取材。
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1896(明治29)年 西村天囚(32歳)、東京朝日新聞編集局主宰に。
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1902(明治35)年 西村天囚(38歳)、大阪朝日新聞に戻る。
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1914(大正3)年 西村天囚(50歳)、大阪朝日新聞編集顧問に。
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1916(大正5)年 西村天囚(52歳)、京都帝国大学講師に。
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1916(大正5)年 西村天囚(52歳)、漢学者として懐徳堂の復興を祈念。大阪財界や政界に働きかけ、重建懐徳堂(大阪大学文系学部の源流)再建。長く帝国大学が設置されなかった大阪において、事実上唯一の文科大学としての機能を担うことになる。
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1919(大正8)年 西村天囚(55歳)、大阪朝日新聞退社。
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1920(大正9)年5月 西村天囚(56歳)、文学博士に。
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1920(大正9)年6月 西村天囚(56歳)、島津家臨時編輯所編纂長に。
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1921(大正10)年8月 西村天囚(57歳)、宮内省御用掛に。
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1923(大正12)年9月 西村天囚(59歳)、正五位に叙せられる。
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1924(大正13)年1月 西村天囚(60歳)、御講書控に。
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1924(大正13)年7月29日 西村天囚(60歳)、死去。享年60歳。従四位に叙せられる。
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